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第3日目夜−第4日目::ロシア号出発とウォッカと私

 23:00少し前チェックアウトを済ませてロビーで待機。30分後ヤボーデャさんがやってきて駅まで送ってくれる。深夜のウラジオストック駅とその周辺は、この辺は散らかってるから汚いですよーという昼間のイメージとは違い、厳かな風情が取り戻されている。駅の重ーい扉を開け中に入ると待合室となっている。割と込み合っているが、例によって蒙古斑のありそうな人は全く見あたらない。正面の階段から地階に下りると薄暗い発券場があり、そこでロシア号の入線を待つ。周りにはそれぞれの事情と大量の荷物を抱えた人達が同じように待っている。超スピードで駆けつけて血相変えて切符を買いに来た人がなにやら窓口でもめていたりする。私のような甘ったれた旅行者のような人は一人も見あたらない。どうしても非常に申し訳ない気分になってしまう。
 
 やがて1番ホームに出るとロシア号が既に入線していた。ホームが地面方式(?)のせいもあって車体がとても大きく感じられる。昼間見かけた他の列車や日本で写真で見たような地味な塗装ではなく国旗のトリコロールになっており、シベリア鉄道の旗艦たる風格がある。ロシア号は機関車から順に、謎の荷物車(?)→食堂車→一等寝台車→一等二等寝台混ざり車→二等寝台車延々・・といった編成で、私が乗るのは5号車の四人コンパートメントの二等寝台だ。数えながら見ていくとなぜか4号車はなかった。各車両の乗降口には車掌が立っており、見た限りは全て女性。大編成の列車の脇に制服で等間隔にビシッと配列する様はなかなか趣深い構図だ。ロシアの駅には改札がなく、乗車する時点で車掌がチケットをチェックするシステムだ。外国人の場合はパスポートも提示する。そして5号車の車掌は・・・また怖そうなおばちゃんだった。。。


ウラジオストック駅でロシア号。
撮影後はいつも周りの視線が怖い。

   
 引込み式のタラップからいよいよ乗り込む。進行方向に対して左右どちらが通路になっているかは車両によって異なり、乗ってみなくてはわからない。5号車は右側がコンパートメントで、列車のすれ違いでバフッ!とならない安眠タイプのようだ。一車両にコンパートメントが9つあり、それぞれローマ数字で表記される。私の席は13番でW号室の進行方向側の下段だった。これまた重い戸を開けるとまだ誰もいなかった。室内は思ったよりも狭い。


ロシア号の廊下。

   
 荷物を座席の下に押し込んで何をするでもなく佇んでいると廊下が騒がしくなり、なにやら日本の修学旅行の雰囲気が漂って来る。もしかしてまっただ中になっちゃったんだろうかうわー、とか考えていると、どやどやと16歳くらいの少年たちが室内に入ってきた。こちらを見て何かひそひそ言ってる。あっ!今おまえ「イポーニッツ」って単語を含めただろう!(こういうのが結構気になる)と思いつつ落ち着いたところで自己紹介などをする。彼らはテコンドーのナショナルチームで遠征中だという。ハバロフスクの先のピロビジャンまで行くそうだ。とても人なつっこく色々聞いてくるが殆ど判らない。まあ仲良くやっていけそうだ。そうこうしている内に前方で思ったより控えめな「ぴょーー」と汽笛が聞こえ、ついに列車が動き始める。
 
 彼らとはすぐうち解け、一人が「ウォッカ飲むか?」と聞いてくる。おいおい未成年が・・と思ったがまあいいや。4人部屋なのに7人くらい集まり、ショットグラスと各々持参した大量のつまみが準備される。予定の行動だったわけだ。私もせっかくだからと今日買ったブラックキャビアを出して大喜びされて、始まる。最初の乾杯(ほんとに乾杯)を「日本人に」としてくれたのがうれしかった。スコーンとやって、う〜、とうなってると笑われた。コミュニケーションはロシア語とゼスチャーと極簡単な英語で行われた。言葉とセンスの問題で些細な発言がギャグになったり意外とブラックな受け取り方をされたりする。「エリツィンの健康とNATOに乾杯」等は異様に受けたが「俺の脳味噌は今メルトダウンでチェルノブイリだ」はかなり寒い状況にまで持っていった。というわけで楽しく列車は最初の停車駅へと向かう。真夜中に相当騒いでいるので車掌が何度か注意に来たが彼らはめげない。「あの車掌はдракなんだよ」等大声で言うのでこっちが心配になるほどだ。そうしている内に列車は最初の停車駅に到着する。
 沿線の写真取りまくるぞーと思っていたが、せっかくの停車駅ももうどうでも良い溶融度だったので、相変わらず室内で騒ぎ続ける。すると急に廊下がざわざわし始める。なんだなんだと思っているとたまたま外にいた一人が「警察が入って来た。何もしゃべらないでくれ」という。彼らがあわてふためいてウォッカのボトルを隠す等の隠蔽工作をはかり、私以外総員寝たふりに入る。すごく不自然だ。すると扉が勢いよく開けられ、いかにもソ連の権力の権化な風体の憲兵が入ってくる。あーもしかしておれが"我が国の若者を毒でそそのかした罪"で持ってかれるのかなー、と思っていると、そうではなくて、彼らの方が全員たたき起こされ、酒も手際よく残らず発見され、テコンドーのコーチとその役人に絞られていた。どうやら車掌が通報したらしい。そしてその駅から我々のコンパートメントに一人兵士が乗せられることになり、テコンドー少年が一人別のコンパートメントに移された。
 
 そう言う訳で新しく乗ってきた陸軍のサーシャだったが、いろんな意味で非常にいい人で、我々のコンパートメントはすぐに再び宴会となった。酒も進み、話題も資本主義的な方面で進み、車掌のおばちゃんの悪口では盛り上がった。私が英語ならはなせるとの認識から誰かが「あの車掌はファッキューなんだよ。」と面白がって言うと、英語が全く分からない人までファッキューファッキュー言いだし、サノバビッチも大流行で、部屋はとてつもないムードになった。やがてつぶれる者も出てきて、覚えている限りウォッカだけで3本空いたあたりで収束ムードとなった頃、私も限界であえなく沈没した。  やがて目が覚めるとすでに夜が明け、ちょうどハバロフスクに到着するところだった。私は二日酔いと列車の揺れでかなりきていて寝台でめろんめろんのままだったが、サーシャとテコンドー軍団は買い物しに出かけていった。そうだホームでピロシキとか買えるんだっけ。昼飯買いに行ったのかな。そして彼らが戻ってくると手にしていたのはウォッカだった。もう。ああもう。手加減気味でも3杯空けてどうなったって知らない状態になってしまい、誰がなんと言おうと最後の理性で寝た。


下段奥がサーシャ。
全員目がすわり気味。。

   
 次に目が覚めるとテコンドー軍団がピロビジャンで下車した後だった。別れの挨拶もできなかったのが寂しい。ところで頭の方は相変わらずガンガンしているが、胃腸にはあまり影響がない。ウォッカは悪酔いしないと言うのはこのあたりを指すのだろうか。サーシャが気遣ってくれて大丈夫かー位に言ってくれたが「にぇーナーダぱまぎーちぇー」位に返答してもう少しへたばっている事にした。テーブルの上はいまだウォッカ態勢だった。この日のその後は、どこかの駅で新鮮な空気を吸いに外に出て1.5リッター14Pのジュースを買った事と、太陽が沈んで行ったらしい事だけ認識している。


”どこかの駅”

   

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