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第一章

仙台発上海経由北京行き
紫禁城と北京の町並みとそしてそして
げろげろ

 

 

1.はじめに

 なんだか気がついたときにはもう出発の日だった。なんだか知らないが仙台空港にいた私は北京行きのCA156便を待っていた。仙台の搭乗待合室は不必要にだだっ広く、中国人やいかにも団体の日本人の中で私は例によってぼーっとしながら日常から逃げ出す快感と数えだしたらきりがない不安と訳の分からない期待感を味わっていた。「何が不安ってまず中国語なんか中とか発とかと数字とかと役の名前くらいしか知らないのに大丈夫なんでしょうか。いいんです。きっと大丈夫です。もういいんだ俺なんて。」位に無理くり納得して、とにかく意味もなくどこか行きたいだけの自分がもはや出国手続きまで済ませて、要するに逃げられない所に来ていた。こんなのばっかりだ俺は全部。

 

 

仙台空港で747-400なんてCA位じゃないでしょうか。
 

2.上海経由は訳が分かりません。やめましょう。

 仙台発の北京行きは大連か上海に一度寄る。私が乗った日は上海経由となっていて、ちょっと得した気分だ。ただし上海寄港の際には苦労した。はっきりいって未だに正しいやり方がわからない。機内の英語アナウンスなんて声が小さくてわからないし、そもそも日本語で説明なんかしなかった。ともかく上海に着陸したので英語の「北京に行く人も入国手続きを済ませよ」とのキーワードだけを手がかりにやったら長い審査の列に並び、入国。そしてはたと困る。どうやってさっきの機体に戻ればいいか、である。どう考えても出国手続きはこの流れしかないし、トランジットエリアなんか無かった。
  北京行き出発の時間はもう12-3分後で、焦りに焦りまくった私はそこいらの職員を捕まえるが英語なんか通じやしない。トラブルと知ってか寄ってくる死ぬほど怪しい中国人は両替すれば解決してやるとか言ってくるし、どうやら一緒に乗っていたらしいよその団体旅行の日本人添乗員に「あのー」とかいって説明しても、奴らは虫けらでも見るような目をして無視する。困った私はVAILEDの航空券だけもって国内線のチェックインに走った。
  その結果とりあえず裏ルートの裏ルートの手を引かれて走って走ってなんとか乗ることが出来た。誘導してくれた職員にドルでお礼を渡そうとするとかたくなに拒否してたのでなんだか申し訳ない気分になった。というか悪のは俺じゃなくてちゃんとしゃべらない客室乗務員とあの日本人添乗員に違いない。そうだよきっと。等と考えつつ機内食は完全に中華料理だった。座席の周りはみんな中国人で、中国語の世界だった。機内アナウンスからも日本語は消え、相変わらずぼそぼそ喋る英語だけが自分の存在していた世界の唯一のなごりになった。さあもうほんとうに異次元に来た気分です。コミュニケーションゼロです。ひ〜〜

     
 

3.北京滞在中のホテル

 まだ3月なのに熱く乾いた空気に包まれた北京空港に到着した私は、深夜着と言うことで、かねてよりぼられる覚悟でタクシーで町まで行くことにしていた。日本で友達等に替えてもらっていた中国元(350ちょい)で足りるか不安だったが、早速群がるタクシーの人たちに料金を聞く。全員がどうやら談合しているようで、400だったか450だったかと言ってくる。どう考えても高い。両替が正規に出来ない時間なので、何でもいいからとにかく町まで行きたいので(それでもぼられてるとしか思えないんだがなぁ。)交渉して350に成功、夜の高速をひたすら走り、ようやく日本で予約してあった民族飯店という超高級ホテルに到着。もう、倒れるように眠った。

 朝、シーツも何も使わずに寝ていた私は損した気分で起き出し、朝食にありつくべくロビーに降りた。このホテルの朝食はクーポンで食べられるが、レストランがやたら狭い為の入場制限に外国人の行列が出来ている。ホテル内は英語が通じるのだが、その外人たちがすぐに食べられないので従業員に向かってさんざん文句を言っているのが聞こえた。そして中に入ってバイキング形式で皿に盛っても座るところがなかなか無い。私の場合一人だったので世界共通の「一つおきの法則」によって座ることが出来た。ちなみに隣はドイツ語を話すきれいなおねいさん2人組だったがいいんだそんなことはどうでも。


民族飯店の室内。至れり尽くせり。
バスルーム(トイレ)もすごいぞ。

4.北京の町並みと私の生存方法

 北京は実はこの時期暑い。ロシアでそうしていたような装備でコートを着て歩き始めたのだが、ホテルが面する恐らく北京のメインストリートの天安門通りを故宮に向かって歩くとすぐに汗がにじむ。近くの西単とかいう繁華街通りが左手に見えてきたのでそこに入り、しばらく歩く。なんというかとても中国的なほこりっぽい町並みで、近代的なビルもあれば平屋でやってる食堂系(そりゃもう全部中華。)、誰がこんな物買うんだろうみたいな金属製の様々な部品屋さん、そしてがらがらっと引っ張ってきてやっている屋根の無い屋台系が多い印象を受けた。しばらく行くと鉱物関係というか宝石屋さんの比較的多い一角にさしかかる。そのあたりに地質博物館があるはずで、ここを見学するのがとりあえずの目標だったので探す。ようやく見つけるが初日はあいにく閉館だった。さらに西単を北に向かうとじきに何にもなくなって一路天安門通りに戻り、再び故宮を目指す。
 途中大きな本屋があり、物色しようとするがあまりにも規模が大きく、とにかく紫禁城くらいは見た後でゆっくり見ようと思いその日は退却。そしてお城の領域が始まり、ようやくそういえばどこかで見たことのあるでっかい広場、天安門広場と紫禁城の入り口が見えてきた頃にはもう午後3時くらいだった。速攻突入。なんというか一言では言い表せない広さと趣の深さに圧倒され、結論。紫禁城は一日で見るもんじゃありません。

→故宮博物院篇

→地質博物館篇

 こうして町を何と無しに歩いていると、当然腹が減る。そしてそこら中に食料関係の商店や食堂がある。しかしながらほんっとに情けないことには全く中国語がわからない。はっきり言って生日本人が覚えたての中国語なんかどんなに喋っても絶対通じない事がたった一日でわかっていた。筆談は割と通じるがめんどくさい。初日はあまりにひるんでしまって結局日中何も食べなかった。かといってこのままじゃ死ぬし、買い食いも吉野屋みたいな外資系は悔しいしとても情けなすぎる。そして民族飯店のレストランは日本人にとっても高すぎる。誰がたかが一人旅の晩飯に60$も出すんだ。
  そこで私が取った作戦は、夕方になってその辺の飲み屋に突入して、唯一わかるお酒関係の中国語「火酒(ウォッカ)」を注文して酔っぱらい、適当に勢いで壁に毛筆で貼ってあるけど読めない食べ物のような文章や運がいい場合にはメニューを指さして「これだこれこれいいから持ってこーい」をやることだった。ともかくホテルの裏の方にはそのような居酒屋系が何件かあって、最初のウォッカまたは勝手に出てくるビールにありつくまでが緊張しまくるのだが、後は胡散臭がられたが何とかなった。メニューも何となく法則性が見いだされた。とはいえなにしろ酔っぱらっているし、生き物の名前が書いてあれば、ああ、肉系だなとかそういう程度。 2日目には英語が少し分かるおじさんと会話が出来た。なお、話の内容として例えば中国人は全員拳法使いだという固定概念はあながち間違ってはいないようである。その人は点穴(北斗神拳のあれ)を少しやる人で、すこし教えてもらった。思ったより単純な理論体系のようで居てやっぱり奥が深そうだ。例えば酔っぱらって頭ズキズキの時はどこをつくかというとずばり両方の頸動脈だ。

 

以下、書いて中。