第1日目:ウラジオストックへ着いてしまった

 早朝、急行能登号で富山駅に到着する。うーん駅前の懐かしい風景。ここから今回の自分でもよくわからない旅が始まるわけだ。昔いた寮に挨拶でもしていきたいが時間もあまりないので直行バスで空港へ。地球の歩き方には290円とか書いてあったが410円だった。前に一回使ったことのある国際線ターミナルへ向かう私。これから海外だぞーと見栄講座でもやりたいが人は全くいない。いたとしても「え、いやなに、ちょっとロシアにね」だとあまりいいイメージがない。
 
 そもそもなぜ今回ロシアなのかと聞かれると実は「血が騒ぐから」位にしか答えようがない。言葉で絞り出して説明できるロシアの目的としては世界一長い特急列車を走破したかったのと色々考え事がしたかったのとロシア人という人達を知りたかったこと、位のもんで、いい年こいて2週間(+α?)も贅沢な、実に社会的罪悪な旅だ。それはさておき国際線ビル内には他におっかなそうなロシア人が一人。でも話しかける度胸などありゃしない。富山金曜日発の国際線はこれから乗るウラジオストック便1本だけで2時間前になってもカウンターには誰も来ない。いいのかなーと思って聞くと空港職員は「いやーちっちゃい飛行機だからねーもう少し待ってて」とのこと。90分前になってようやくチェックインが始まり、出国審査とこの世で私だけ必ずなぜかどうしても引っかかる金属探知器など済ませて搭乗待合室へ。ようやく乗客が集まりだしたがどうやら全部で10人位のようだ。
 
 使用機材は寒くて有名なYak40で、一応飛行機大好き野郎なので楽しみだ。実質20人も乗れない小型ジェットなので地面に降りて直接乗り込む。Yak40の乗り口は普通のああいうのじゃなくて船尾ががばっと開いて(乗ればわかる)乗り込むタイプだ。機内は狭く座席の配置も奇妙で4人向かい合わせテーブルが両舷にそれぞれ並ぶアットホームなムードだ。すっちーさんはよく言えばマトリョーシカ的で、優しそうなおばさんだった。しかし早速ロシア語でまくし立てられる。あがっちゃって一言も浮かばず、わかりません何ですかという顔をしていると英語で「Please take any seat.」という。おおっ。国際線も自由席なのか。寒くてもいいから風景が見たいので進行方向向きの窓際席をキープ。やがてお客が増えてくる。日本人は他にロシア慣れした風の4人位と後はロシア人だった。多分この中では自分が一番恥ずかしい乗客なんだろうなーとか思いつつ神妙にしている。そしていよいよタキシング。なぜかこの時日本の地面をもう一回踏めるのか実は不安だった。尚、座席にはシートベルトがちゃんと付いていた(一応報告まで)。
富山空港のエプロン。
今日もがらがら。
   
 3発リアジェットだが推力が弱いので滑走路をいっぱい使っての離陸。加速感も東京ディズニーランドのあれ(あれですよあれ)の方が強い。ああにっぽんの地面が。期待と不安と何やってんだおれ、といったごちゃまざりの心境。そして高度が立山を超える頃になって船内気圧がコンスタントに落ちてきているのが感じられる。飲み込んだ唾が妙に記憶に残っている。佐渡の無線標識を通過して水平飛行に移る頃になると、座席が狭いこともあり窓際は、というか右腕に密着する壁が本当に冷たい。時計の気圧計によればキャビンの気圧は標高2750m相当まで下がっている。大学の生協の80円ペンからインクがぷぷぷっとほとばしった。あと座席の下の方からはシューーーとかって不必要な音がしている。こんなの初めてだ。
 
 すっちーさんが飲み物を運んでくる。とりあえずやっぱり「ヴィーノパジャールスタ」ちゃんとワインが出てきた。生まれて初めてロシア語が使えた。感激だ。で、「スパスィーバ」と言った時に恐らくこれに関連して向かいの席のロシアのおじさんが変な顔をしている。なんでだろう。後でわかったがこれがロシア人の性質の一端なのだ。平たく言うと、職務上の義務を果たしているすっちーに礼はいらない、ということだ。ははーん。こういうことを勉強するのも目的の一つなのだ。ところでワインはアルコールとエキスが分離したような非常にわかりやすい味だった。ワインなら何でもおいしいけど。
 
 ロシアのエアラインパイロットは殆どが空軍出身者だそうで旋回をキビッキビッと決める。しかしなぜか彼らは乱気流を気にしない。飛行機が揺れ出すと私以外の周りの乗客はと自分の飲み物が入ったコップを持ち上げる。なるほど。ちょっと見栄講座的に使えそうなテクだ。やがて機内食が配られる。食事は和露折衷で小さいます寿司の具なんかも入っていた。ここで発見。ロシア人はよっぽどの必要がない限り食事の時ナイフは使わないらしく、右手でフォークだけで食べる。こういうのがロシア流らしい。なるほど。まねしよう。
 
 食後はコーヒーか紅茶か水が出る。私は「カフェー」と言う。すっちーが「Чай?」と聞き返す。?!まちがった。「カーフェ」だ。ロシア語はアクセントの違いでこんな単語でも全くわからなくなるらしい。うー不安。。渡されたのはお湯の入ったカップとシンガポール製にしてロシア語で書いてあり、砂糖が均質に混入されたインスタントコーヒーのパックだった。おいしいよ。でも。
 
 やがて機体は降下を始める。大陸の極東も見えてきた。わー雪積もってる。写真をとりたいがすでにそういう世界なので出来ない。着陸寸前までパイロットは相変わらず非常にうまく、フラップ全開まで極めてスムースに減速して横風の中後方を右左に激しく揺らしながらロシア的に長ーい25Rに着陸する。逆噴射せずに余裕で減速し、ターミナルへ向かう。結局飛行時間は3時間くらいかかった。エプロンには他にYak40が7機とTu154が3機、一度乗ってみたいIl72が1機と野ざらし補修中と思われるAn124が駐まっており、軍用機は全くなかった。
 
 初めて大陸を踏む。踏んだーという気持ち。やっぱり寒い。ターミナルまでは多分100mも無かったが全員バスで移動する。いよいよ地球名物ロシアの入国審査だ。まあなるようになるだろう。新潟発にせず、乗客が少ない富山発にしたのはここで時間をかけたくなかったのも大きな理由の一つだ。建物に入るとそこら中キリル文字だらけ。始めのパスポートチェックの窓口は3つあるが実際は2つだけ機能しており、インベーダーの区別もなかった。恐らく列の3番目だったが自分の前の”ロシア小慣れた風”日本人が5分位かかっている。げっっ質問されて答えてる。やがて自分の番。うわー歯医者みたいに緊張するよー。係官は若者で、肩章からして陸軍の下士官。パスポートとビザを渡しとりあえず直立不動目線は合わせない。1分程で何も聞かれずOkだった。ゲートを押して入るとすぐの所にガイドブックにも何にも書かれていない外国人登録窓口が突然生えている。やはりパスポートとビザを渡してなすがまま。すぐOk。荷物を受け取り荷抜けにあってないことを確認するとX線検査を通して最終関門のザ・税関。おりしもさっきの手間取っていた日本人がバックから中身全部出されつつあるところだった。現金も見せろとか言われている。税関は木製の台がいくつかあり、3台稼動中。開いてたところに荷物をおいてパスポートとビザと税関申告書を渡す。さっきよりも年輩の怖そうな兵士。直立不動目線は合わせない。申告書には現金だけ書いて他は全てNONE、カメラその他は書いていなかったのでやばいかなーとか思ってたら10秒も経たずに「オーカーイ」とか言う。Ok?え、いいの。拍子抜けした感があったが無事プライバシーは保たれた。その先のわかりづらい鉄の扉を開けるとそこにはトランスファーサービスを頼んでおいたヤボーデャさんが待っていた。
 
 お互い自己紹介して握手して、彼が荷物を持ってくれて古いハイエースに乗り込む。何かロシア語の長文を言われる。キーワードからして「夜だから両替所が町中閉まっており自分が両替してもらってくる」と+言ったらしい。私が行こうとすると日本人は捕まるから自分が行くという。レートは1US$=22Pだそうだ。直感的に悪そう(ホントに悪い)。しかも計算書無し。まあなんとかなるさ、で150US$渡し、3300Pゲットする。こういう時の「スパスィーバ」は個人の自発的な善意に対する正しい使用法なのだ。
 
 時差はサマータイムで日本+2時間。すでに夜の8時過ぎだが日本の夕方4時頃の明るさだ。空港と市街は50km程度離れており広いハイウェイをガンガンとばす。会話集で彼と片言で会話していたが、道路はあちこち陥没があり、回避したり急減速の度に車が揺れて酔う。なんでもこの広いハイウェイは本来車線が何本もあり、穴も無かったらしいのだが、金が無くて車線も引けず、直せないのだそうだ。町はもっと汚れていて住人が自主的に自分の家の前だけ掃除する状態らしい。ガソリンの値段を聞いて納得した事には、リッター3P(12円)なのだそうだ。そういう国なのだ。  2泊半するウラジオストックホテルに着くとチェックインその他も彼が代行してやってくれ、ディジュールナヤのおばちゃんに紹介までしてもらってなおかつ部屋までポーターしてくれた。実にいい人だ。感謝感謝。5$あげた。列車のチケットを受け取り出発時刻の確認をして、お別れ。バスタブはないが十分すぎる部屋だ。疲れていたのですぐ寝てしまった。尚、このホテルで英語は「check out」位しか通じない。


ウラジオストックホテル室内
テレビは偉大なDAEWOO製。

こっちはトイレ。

   

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