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第15日目::夢だったような気もする。

私は飛行機の中でよく寝れない人でもあり、うとうとしては目覚め、を繰り返した後しっかり覚醒したのはおよそ計算上バイカル湖の上空だった。アンガラ川らしき物が見えてきていて、後の方に一服しに(アエロフロートは世の中の偽善的きれい事なんかには付き合わないのだ)行きがてら、トイレの脇のスペースで暇そうに新聞を読んでいたパーサーにあれはアンガラ川かと聞いたところ「わからん」という。ついでに駄目元で写真を撮っても良いか聞いたところノータイムでいいよとか言われた。禁断の航空写真をとるべく構えていたが、すぐに雲が出始めて結局バイカルもなにも見えなかった。
 
 やがて朝食サービスが始まる。JALみたいな軽食ではなく、しっかり「ビーフストロガノフ丼」だった。食事の後はもうぼーっとしながらこれまでの日記を読み返し、いったい何だったんだろう等と考えながら過ごしていた。お。日本海。やがて小一時間でついににっぽんの国土が見えてきた。あっという間に本土横断。ああ小さい国だなあ。その後機体は15-20度くらいのものすごい降下を始め、FS95でいつもやってる房総の景色が見えてきた。すんなり着陸。車輪がごとごと音を立てているこの地面はこれは日本日本。減速中はロシア人らしいすさまじく揺れる針路修正をしながら第二ターミナルの方へ。んで停止。アエロフロートみたいなマニア航空機メーカーだと何でもないところに駐機してバスでの移動だ。ドアの所ではすっちーさんがにこにこして「だすびだーにゃ」と言ってくれる。こういう場合には本質に逆らった善意の仮面の笑顔であることは重々味わって知っていたが、私も「だすびだーにゃ」と言ってタラップから降りた。
 
 それ以降はまあ、税関で差別的に苦労したことや検疫で日本語が出てこず外人扱いされたこと、東京はめちゃめちゃ暑くて一人だけ冬装備で目立ったことや、しばらく500円以上の買い物の度に本当に心が痛んだこと等々あるが、とりあえずよく分からないが一皮剥けたらしい私は満足して仙台へ向かいましたとさ。
 

 


考察と言うかつれづれ思うこと
○旅行者位なら文字と読み方、挨拶と買う、食べる、一緒に飲む関係の会話、200-300位の単語が分かれば十分。
○一人で歩くときは地味でそれでいてどすの利いた格好をすべし。極論すればやくざやさんを装うべし。
○シベリア鉄道内での同室の人間は全員ロシア政府に派遣された役者だった説
○突然出会った人間は敵か味方かは一瞬で見極め、敵なら無視で決して態度を変えてはならない。
○2週間くらいなら小遣いは1万円ほどで実は十分。


ロシア物価考 99年4月
ロシアのルーブル感覚は江戸時代の17世紀の「文」とおよそ一緒。
1P=1文≒4−5円として

立ち食いアイス 3−5文
立ち食いピロシキ 4−8文
ロシア号で紅茶 4文
ちょいとそこらで一杯(46%一気) 4−10文
メントス(長くてカラフルな奴) 8.5文
クッキー500g 15文
ぺぷし2リッター 22文
南蛮のまるぼろ 20−25文
高級料亭でディナー(塩味。) 1朱弱
しちずんの計算機 1朱ちょい。
清国のでっかい壺 1分2朱
イルクーツク−ウラジオ駕籠代 約1両

で、何かしっくりくるわけです。


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